このブログに時折コメントをいただいているなななかばさんは、ぼくにとっては先輩映画監督である。もう10年を越すお付き合いをさせていただいている。
まだe-mailがない時代、パソコン通信で将棋を指したりした。一手ずつメールで送るのだ。勝負がつくのに3ヶ月ほど要した。いまでは隔世の感がある。
作品の批評をめぐって口角泡を飛ばすことも度々だ。殊に脚本の作り方についてはかなり考え方が違うように思う。そのくせ新しい脚本を脱稿すると、ぼくは誰よりも先になななかばさんの意見を求めるのを常としている。
なななかばさんの母上がお亡くなりになって一周忌がやってきた。
それを機に、なななかばさんは母上の詠まれた短歌を一冊の本にまとめた。私家版である。
表題に『命いとしみ』とある。扉を開くと、巻頭に一首ある。
8キロもやつれて退院せし此の身命いとしみ口紅をさす
87歳の御作である。
「口紅をさす」がいい。女性はいいなあ。男のぼくは、87歳の時、命いとしみ何をするのだろう。
そのページをめくると一葉の写真が出てきた。傷ついたセピアの画面の中で若い女性がじっとこちらを見つめている。断髪、傾けてかぶった帽子に洋装、軽くとじた唇にきりりと紅が引かれている。なななかばさんの母上はモガ(モダンガール)だったのだ。しかも美しい。並みの美しさではない。こんな美しい女性からなななかばさんが生まれるのかと目を疑わずにはいられない。ほんと。
「私はお転婆できかん気だったから、男の子にも負けなかった」
と、聞き書きの冒頭に記されている。
これは、なななかばさんの奥様が母上(義母)から思い出を聞いてメモされていたのもだ。
「すぐ上の文子姉さんが泣かされて帰ってくると、私が出て行って男の子をひっぱたいて仕返ししてやったわよ。『山一のしいちゃん』といえば知らない人はいなかったわね」
大正3年生まれのお転婆娘・山一のしいちゃんは、松竹蒲田撮影所から女優にならないかと誘われたことが自慢で、モガとなり、東大生じゃないと結婚しないと宣言し、反対を押し切って東大生と結婚し、鉱山技師の夫と各地を転々とし、満州鉱山の支社(現在の北朝鮮)に着任中生まれたのがなななかばさんなのだ。
やがてなななかばさんも東大を卒業し、松竹大船撮影所の助監督となる。
面白いのは、同じ年、母上が8ミリカメラを買い、旅の記録などの撮影を始められていることだ。息子とともに映画を学ぶようなおつもりだったのかもしれない。
母上は40半ばより、時折短歌を詠まれるようになったそうだが、好奇心は加齢とともにいや増していったように思える。もちろん病は避けられない。心筋梗塞、口腔癌で入退院を繰り返しながら、しかし、まるで病と追いかけっこをするように、未知のものを吸収されていった。
64歳で浅紅会に入会。同時に通信教育で書道を学び、展覧会にも出品。
74歳、大正琴を習いはじめる。
83歳、NHK学園の岡井隆短歌教室に入学。新宿の教室に通う。「万葉集を読む会」にも入会。お茶の水へ通う。全国短歌大会にしばしば入賞する。
我が命未だしとばかり朝顔の白菊にからみ紫に咲く
癌を病む母を見舞はむと子をひきて出てゆく嫁の肩のあはれさ
片手あげて角を曲がりし息(こ)のバイク音消ゆるまで門に佇む
そうだ、なななかばさんはかつてハーレー・ダヴィッドソンを駆っていた。
死ぬるまでこれだけの本は読みたしと書棚の前に佇ちし夫想う
いつの間に生をうけしや金魚の子絹糸のごと藻の間に浮ぶ
いかん。読み進めるうちに涙がにじんだ。知らぬ間にぼくの母をダブらせてしまっていた。ぼくの母は文学とは無縁の人で、商売一筋、好奇の眼をほかに移すことはなく、花登筐のテレビドラマを観るのが唯一の楽しみだった。すこぶる美声の持ち主で、女学校で全校生徒の前でしばしば独唱させられたというのが自慢だった。彼女はなななかばさんの母上よりも7年遅く生まれ、2年早く逝った。
病室のまどは額縁日々変る浮雲の絵ぼたん雪の絵
いくたびの病てふ敵とたたかいつ新春(はる)を迎えし命いとしき
聞き書きに、長女(なななかばさんの姉)が生まれたときのことが語られている。
「一四年の四月だったけど、北海道はまだ雪の中だった。
産気づいたので産婆さんを呼ばなければならないのに、仙太郎(夫)はスキーも出来ずオロオロするばかりでね。
鉱山事務所の小使いさんがスキーで呼びに行ってくれた。
産婆さんもスキーでかけつけてくれたけど、二時間以上も待たされてね。
長かったわよ」
たったこれだけの言葉に中に、人間の豊かなドラマが溢れている。生きた人の言葉のすごさだ。
ぼくは、私家版が大好きである。市販本のような装丁が望めないのはもちろんだが、袋とじのページの折り目にも、筆者や編者の思いが閉じ込められているように感じる。
人が生まれ、生き、死ぬ。市井の人の生涯こそが至上の芸術なのだと改めて思った。
歌集の最後のページで、なななかばさんの母上は詠む──
カーテンを明ければ朝日輝きてここより私の今日がはじまる
ご冥福をお祈り申しあげます。
なななかばさん、すばらしい本を頂戴しました。ありがとう。
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