謹賀新年'08
明けましておめでとうございます。
若山牧水歌集『黒松』の新年述懐より――
いつまでも子供めきたるわがこころわが行ひのはづかしきかな
あわただしき歳かさね来ついま迎ふる今年はいかにあらむとすらむ
何やらむ事あるごとき気おくれを年たつごとに覚えそめたる
年ごとにわが重ね来し悔なるを今年はすまじせじと誓へや
はい、誠にそのとおりであります。
今年はいかにあらむとすらむ……。
2008年が良き年となりますように。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
明けましておめでとうございます。
若山牧水歌集『黒松』の新年述懐より――
いつまでも子供めきたるわがこころわが行ひのはづかしきかな
あわただしき歳かさね来ついま迎ふる今年はいかにあらむとすらむ
何やらむ事あるごとき気おくれを年たつごとに覚えそめたる
年ごとにわが重ね来し悔なるを今年はすまじせじと誓へや
はい、誠にそのとおりであります。
今年はいかにあらむとすらむ……。
2008年が良き年となりますように。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
おめでとうございます。
ありがとう、2006年。
こんにちは、2007年。
本年もよろしくお願いします。
若山牧水が大正7年の雑誌『創作』新年号にこんなことを書いています。
牧水の歌に対する態度、信念がよく現れていると思うので、ちょっと長いけれど全文掲載します。
ひとり言
新年の賀状に代へ、この一文をわが読者に送る
○
輝け。
ひややかに輝くと、火のごとく輝くと、そはその人の本然に拠る、とにかく輝け。
○
寂は輝の極り沈みたるものである。
輝くことなくして、先づ寂をねがふ愚及び難し。
○
自己を知れ。
否、修養書のいはゆる「自己を知れ」ではない、根本的に自分の生きていゐことを痛感せよといふのだ。
やがて生命のなやみは起る。
詩歌──すべての創作はその悩みから生るる。云ひ得べくんば、純真無垢のこころの輝きは其処から発する。
○
自己を知らふとする努力に、読書、思索、而して創作がある。
○
全身的であれ。
井戸端会議式の不平や、いつの間にか狡猾な習慣の老婆から押売せられてゐた趣味や興味や、若くは不良少年式の小手先の冴えや、それらは殆ど作者自身真実自分に関係のあることか無いことかを危ぶむ程度のものが多いのだ。其処に何のひかりがあろうぞ、ありとすればそは僅かにガラス玉のひかりである。
自己全体を自然の前に神の前に投げ出して初めて其処に純真無垢の自然の光が宿る。謂はば、その光の発する時、われみづからが神であり、自然の表象であるのだ。
その光をすなはちわれらはわれ等が歌に点す。
○
われみづからの小さき知慧にたよるな。
おのれを空しうしてただ神の前に立て。
○
おのれだにきよからば路傍の草にも神を見る。
おのれだにきよからば随所に輝く歌を見る。
○
友よ、歌をうたはむ。
わが生(よ)のあかしのために。
いのりのために。
牧水の弟子であった大悟法利雄氏は、元旦の牧水の様子を著書『若山牧水伝』に書かれています。
「元旦はまだ除夜の鐘の鳴っているうちに目をさました。そしてその鳴り終わるのを聞いて静かに起きあがった。顔を洗い火鉢の火をかき立ててから机と原稿紙とを持ち出したが、やがてまたそれを片ずけて酒の用意を始めた。湯をわかし、食卓を出してから妻を起こした。午前二時である」
いまちょうど午前2時になるところです。
2007年が皆さまにとって佳き年となりますように。
| 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
落ち着かない。そわそわしている。
理由は分かっている。頭の中で牧水さんが騒いでいる。
大正7年11月12日~26日(29日の説もある)、牧水は群馬県を旅した。その旅を5本の紀行文にしている。
「利根の奥へ」
「みなかみへ」
「利根より吾妻へ」
「吾妻川」
「吾妻の渓より六里が原へ」
がそれだ。
牧水の紀行文はどれを読んでも面白い。そのなかでもこの5本は、ぼくにとっては珠玉だ。この旅を自分の足でなぞってみたい。脚絆を巻いて草鞋を履いて、牧水と同じように徒歩で。
しかしいまは乗合馬車がない。タクシーで代用するのはつまらないから自転車にしようかなどと考えている。
今日(14日)、牧水はどこにいただろう──
毎日紀行文のなかのその日を読み返している。
併せて書簡集からその日の手紙を探す。
前日、沼田駅から乗合馬車で小日向へ行き、徒歩で湯原に到着。藤屋という旅館に泊まった。
14日は雨だ。牧水は湯原に留まり、ゆっくりと湯につかって休むことにした。
朝7時半、妻の喜志子宛に「これから原稿用紙を取り出そうといふ処だ」と葉書を書いている。
旅中の牧水は日に2通も3通も妻に手紙を書いている。まるで携帯メールみたいな頻度だ。
午後、雨の湯原を歩く。
料理屋の軒燈や腰障子がいくつも目につく。昼間だというのにどの店も酔った男達でにぎわっている。たいていは草鞋履きのまま踏み込む大囲炉裏のある座敷で、自在鉤に吊されているのは豚鍋らしい。囲炉裏を囲んだ大男たちの間に、銀杏返しに結った女たちが挟まっている。
ここで牧水は書いている。
「私も元来斯ういふ場所は好きである。が、流石に一人では入っていく勇気がない」
牧水のこういうところが、こう書けるところが、ぼくは好きなのだろう。
夕方、風呂で材木商の男から山の話を聞く。
「山の売買、木材の容積の量りかた、それからの喧嘩、1日七八両も取ってゐて年中前借から前借せねば暮して行けぬ山師共の生活、さうした珍しい話に心を惹かれ夕食をばこの人と一緒にする事にしたが、二三本飲んでゐるうちに彼は早やその前借連中に呼び出されて他へ出かけて行った。私も誘はれたが、矢張り勇気が無かった」
深夜に目を覚ますと、恐ろしい風が吹いている。
しかしこれで明日は晴れるだろう、と牧水は思うのだった。
ところが、牧水の予想はよく外れる。
次の日は雪混じりの雨だった。風に乗って頻りに木の葉が飛んでくる。
牧水はもう1日湯原で休むことにした。
朝7時、喜志子宛に葉書を書く。
「原稿、昨日、丁度十七枚書いてやめておいた、あと十八枚を今日これから書くのだ、歌がしきりに出かけて来るが、原稿の出来てしまはないうちは困るから一生懸命それを押さえているところだ」
実はこの旅の旅費を、牧水は出版社からの前借りで賄っていたのでした。
のちに、このときの材木商のお孫さんが嫁いで猿ヶ京ホテルの女将となり、ホテルの苑内に文学館(三国路与謝野晶子紀行文学館)を建てることになります。
牧水の生原稿を蒐集されているそうです。
幼いころ祖父の膝の上で牧水の話をよく聞かれたそうだと、牧水の弟子で研究者の大悟法利雄氏が書かれています。
この旅での歌ではないけれど──
旅ゆけば瞳痩するかゆきずりの女みながら美からぬはなし 牧水
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
NHKニュースによると、今日(20日)、暮坂峠(群馬県中之条町)で牧水の詩「枯野の旅」が読まれたそうだ。
上野(かみつけ)の草津の湯より
沢渡(さわたり)の湯に越ゆる路
名も寂し暮坂峠
大正11年10月20日の朝、牧水はこの峠を越えて「枯野の旅」を読んだ、らしい。
乾きたる
落葉のなかに栗の実を
湿りたる
朽葉がしたに橡(とち)の実を
とりどりに
拾ふともなく拾ひもちて
今日の山路を越えて来ぬ
長い詩だ。
この旅を記した紀行文が「みなかみ紀行」で、牧水の代表的作品のひとつだ。
ところが長編の詩を著したにもかかわらず、「みなかみ紀行」では、暮坂峠の記述は素っ気ない。「ひろびろとした枯芒の原、立枯の楢の打続いた暮坂峠」とあるのみで、何の感慨も記されていない。先を急いで通過したみたいな書き方だ。
草鞋よ
お前もいよいよ切れるか
今日
昨日
一昨日
これで三日履いて来た
履上手の私と
出来のいいお前と
二人して越えて来た
山川のあとをしのぶ
捨てられぬおもひぞもする
なつかしきこれの草鞋よ
牧水の旅は観光旅行ではなかったのだろう。自らと語り合う旅だったのかもしれない。
牧水の紀行文を読むとき、ぼくは大正9年版の陸軍参謀本部5万分の1の地図でルートをたどりながら読む。国土地理院で複写してもらった。牧水が使った地図と同じものだ。たぶん。
枯草に腰をおろして
取り出す参謀本部
五万分の一の地図
見るかぎり続く枯野に
ところどころ立てる枯木の
立枯の楢の木は見ゆ
ここでようやく長編詩「枯野の旅」と紀行文「みなかみ紀行」が合致する──「立枯の楢の打続いた暮坂峠」
昨秋、暮坂峠に立ち、牧水の歌碑を仰いだ。
風にあおられたおびただしい量の枯れ葉が吹雪のように降りしきる光景を、ぼくは生まれて初めて目の当たりにした。
「枯野の旅」をもう少し……
路は一つ
間違へる事は無き筈
磁石さへよき方をさす
地図をたたみ
元気よくマッチ擦るとて
大きなる欠伸をばしつ
「枯野の旅」は岩波文庫「新編みなかみ紀行」(池内紀編)で読めます。もちろん「みなかみ紀行」も所収。「みなかみ紀行」は青空文庫でも読めますよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ギックリ腰になった。
部屋に掃除機をかけていて、ほんの一瞬、腰にピッと電流が走った。なんともなかったので20分歩いて町田駅に出てカフェでお茶を飲んだ。1時間ほど本を読み、帰ろうとして、立ち上がれなかった。痛い。とにかく痛い。タクシーを呼んで帰宅し、そのまま寝転がって呻いた。
3日目に冷蔵庫が空になった。拙著脚本の『わらびのこう』に、足が萎えて歩けなくなり、里へ下りて食料を得られなくなった老婆が、自らの意志で食を断ち、死んでいくというシーンがある。ぼくの場合はもう少し生きていたいし、腰の痛みよりも飢え死にするほうがきついと思ったので、痛い痛いと泣きながら食料を買いに行った。笑顔の人が行き交う街が空虚になる。この痛みって奴はいったい何なのだ。
というのが8月初旬の出来事で、痛みが緩んでいくのといっしょに夏が終わってしまいました。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
お変わりありませんか。
このブログの更新をすっかりサボタージュしてしまいました。すみません。
ようやく腰が治りました。完治です。軽い軽い。立っても座っても飛び跳ねても痛くないということがなんと心地よいことか。童のようにはしゃいでおります。
阿鼻叫喚の間に、いくつかうれしい発見がありました。
そのひとつをご披露します。
なんと若山牧水の全歌集がインターネットで読めるんですね。15歌集すべてです。6896首です(重複したものを除く)。仰天しました。驚喜しました。
さっそくダウンロードし「紙」にファイルしました。財宝の山を手にした気分です。「はつとして」で検索すると──
はつとして歩みをとどめなにやらむ払ふがごとく癖ぞ袖振る 『芸術か死か』
はつとしてわれに返れば満目の冬草山をわが歩み居り 『路上』
はつとしてこころ変れば蒼暗くそこひも見えず降るそらの雪 『路上』
と、たちどころに出てきます。
「山」や「海」で検索するともうたいへんです。
こんな幸せがあってよいものだろうか。身体は痛いが心は嬉し、の夏でありました。
大正7年の秋、牧水は利根川の上流を遡りたいと思い立ちます。
ところが金がない。おまけに風邪をひく。スペイン風邪が世界を震撼させた年でした。
書きためた文章を出版社に持ちこんで前借りをして、汽車に飛び乗ったのが11月12日。しかし雪のために利根川を遡ることを断念。20日、中之条から乗り合い馬車で六里ヶ原へ向かいます。その途中、牧水ははじめて吾妻渓谷を目にすることになります。その感動を書いた『吾妻の渓より六里が原へ』はぼくがもっとも好きな紀行文です。
昨年7月と10月、吾妻渓谷へ行きました。川原湯温泉の牧水が泊まった養壽館はなくなっていたけれど隣の山木館に泊まりました。
牧水と同じ11月20日、吾妻渓谷に立ってみたいなあ。行けるかなあ……。
おのが身のさびしきことの思はれて滝あふぎつつ去りがたきかも 牧水
◎J-TEXTS日本文学電子図書館 http://j-texts.com/
◎紙 http://rakusai.org/
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
ただ恋しうらみ怒りは影もなし暮れて旅籠の欄(らん)に倚るとき 牧水
電車の中で久しぶりに牧水を読んだ。
『Breath Less』が公開されてからというもの、書物の開く余裕すらなかった。
明治41年7月刊行の処女歌集「海の声」の一首である。
この年、牧水は早稲田大学を卒業している。大学卒業と同時期に処女歌集を刊行したのだからすごい。しかし、印刷の途中から出版社の都合で自費出版となり、牧水は大きな借金を抱える。宣伝も思うに任せず、この歌集は売れなかった。翌年、残本はわずか8銭で古本屋に売却された。
しかしこの歌集には、のちに牧水の代表作として長く愛唱されることになる歌が数多く収められていた。
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く
幾山河(いくやまかわ)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
で、冒頭の歌である。ぼくはこの歌の直線的な思いが好きだ。
九州を旅しながら、東京に残した恋人を思っている。園田小枝子との交際が始まってまだまもないころだったのだろう。
電車の中で、ふと疑問が湧いた。「うらみ怒りは影もなし」が妙に気になる。なぜ「うらみ怒り」だったのか。
旅にあこがれて、旅をしているのに、ただただ彼女が恋しいという直線的な思いの歌である。打ち消して強調する材料として「うらみ怒り」を持ってこなくてもよかったのではないか。例えば、旅路の風景も目に入らない、でもよかったのではないか。
現に以下の歌がある。
海見ても雲あふぎてもあはれわがおもひはかへる同じ樹陰(こかげ)に
旅路の海を見ても空の雲を仰いでも、私の心はあの樹陰に帰ってしまう。
歌人・伊藤一彦氏は、「同じ樹陰」とは小枝子と語らった武蔵野の樹陰ではあるまいか、と想像されている。
では冒頭の歌では、牧水はなぜ「うらみ怒り」と着想したのだろう。
分からない。
小枝子との仲が思うようにいかなくなるのは、「海の声」を出版した年の暮れあたりからだ。それから3年あまり、牧水は嫉妬と猜疑と執着に懊悩することになる。
もしやその前兆のようなものを、恋の始まりにおいて、牧水は予感していたのか。
だからこそ「影もなし」と打ち消さざるを得なかった、というのは穿った見方だろうか。
分からない。
また分からないことがひとつ増えた。
一段落したら、宮崎へ行こう。宮崎へ行って伊藤一彦先生に教えを請おう。
こういうことは手紙やメールではどうにもならない。
ポレポレ東中野のロビーにお客さんが集まり始めたので、今日はここまで、書物を閉じてデイパックに収めた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
海山のよこたはるごとくおごそかにわが生くとふを信ぜしめたまへ 牧水
苦境の真っ直中で出した第二歌集『独り歌へる』(明治43年1月1日発行)の一首です。
明治41年、牧水の苦境は始まりました。早稲田大学を卒業。ほぼ時を同じくして処女歌集『海の声』を出版。しかしそれは出版社の都合で印刷の途中から自費出版となってしまい、牧水は経済的苦境に立たされます。年末には一軒家を借りてばあやを雇い、小枝子を迎え入れようとしますが、彼女はなかなか来てくれない。実は彼女はすでに結婚しており、二児の母でもあったのです。姦通罪があった時代ですから、彼女にすればおいそれと牧水の希望に添うわけにはいかなかったのでしょう。重ねて牧水にとって不幸だったのは、彼女がその事情を牧水に打ち明けられなかったことでした。牧水20代後半の懊悩はこうして始まりました。
逃れゆく女を追へる大たわけわれとぞ知りて眼眩むごとし
同じく『独り歌へる』のなかの一首です。
初め牧水は、歌集名を『みづからを弔ふ歌』と考えていたようです。
この歌集の「自序」に、牧水はこう記しています。
「私は常に思って居る。人生は旅である。我等は忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくへ往ってしまふ。その間の一歩一歩の歩みは実にその時のみの一歩一歩で、一度往いては再びかへらない。私は私の歌を以って私の旅のその一歩一歩のひびきである思ひなして居る。言い換へれば私の歌はその時々の私の命の砕片である」
「私の歌はその時々の私の命の砕片である」──この言葉はすごいなあ。
牧水は生涯、そう思いつづけて生き、旅をし、歌を詠んだのだろうとぼくは思っています。それは、歌集はもちろん随筆、紀行文、書簡などを読んでいくと容易に推測できることです。
しかしこの歌集の発行部数はわずか200部(150部との説も)。牧水の歌が全国の若者に愛唱されるようになるにはいましばらく月日が必要でした。
唐突だけど大好きな一首を──。
納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝が意志をまぐるなといふが如くに
このメチャクチャ破調の歌については、またいつかお話ししたいと思っています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
眼をあげよもの思ふなかれ秋ぞ立つ
いざみづからを新しくせよ 牧水
第5歌集『死か藝術か』(大正元年刊行)の一首です。
5年に及ぶ小枝子との苦しい恋にようやく終止符が打たれ、心身と生活を新しくしようと努力していたころの歌です。ただ心も身体もそうそう単純にはできていない。新しくしようと決意しながらも、意識は過去に執着してしまう。
歌人・伊藤一彦氏はつぎのように書かれています。
では、このころの牧水は自己を新しくしつつあったかというと、そうではなかった。眼を閉じて過去へのもの思いにふけり、古い自分をなかなか脱しきれないでいた。そんな苦悩の中だからこそ歌われた一首であることに注目しておく必要がある。
伊藤一彦著『あくがれゆく牧水』鉱脈社刊より
偉大な歌人も、思うようにいかない自己と必死に格闘していたのでしょう。
同じころの歌をもう一首。
手を切れ、双脚(もろあし)を切れ、
野のつちに投げ棄てておけ、秋と親しまむ
「手を切れ、双脚を切れ」から「秋と親しまむ」への飛躍がすごい。苛立つ感情を一瞬に浄化してしまう思考のダイナミズムが堪らない魅力です。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
はつとしてわれに返れば
満目(まんもく)の冬草山をわが歩み居り 牧水
街を歩いていて、ふと気がつくとこの歌をくちずさんでいることがよくあります。
たったひとり、ひたすら歩いているうちに、心はどこかへ行ってしまい、視野から風景が消えてしまっている。はっとして我に返りあたりを見回すと……ってところでしょうか。
明治43年、牧水25歳の作です。そのころの牧水は恋人・小枝子との仲がうまくいかず、病を得て信州・小諸の田村病院に滞在していました。人生最悪のときといっていいかもしれません。小枝子と別れようと思い、別れられない懊悩の日々は5年に及びました。
田村病院は旧小諸宿本陣問屋で、現在も保存されています。昨年の秋、無理にお願いして内部を撮影させていただきました。短編小説『裾野』によると、牧水は2階の病室をあてがわれていたようです。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
これらも同じ時期に詠まれた歌です。
当時をフィクション化したものとして『裾野』はたいへん面白いけれど、ぼくは紀行文『信濃の晩秋』が好きです。
こちらは田村病院滞在を世話してくれた岩崎樫郎医師と11年後に再会するところから書き出されています。列車のなかで偶然出会うのですが、その描写がじつにいい。まるで映画のワンシーンのようです。
そういえば牧水の歌も散文も、名画のワンシーンを観るような強く鮮やかな印象を与えてくれます。それはほとんどの作品が、実体験、実体感に基づいていて、しかも平易な言葉と表現で書かれているからではないか、とぼくは考えています。
『信濃の晩秋』は岩波文庫の『新編みなかみ紀行』(池内紀編)に収録されていますから容易に入手できますよ。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (2)
けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴し
うち鳴しつつあくがれて行く 牧水
若山牧水(1885~1928)の生涯は「あくがれて行く」日々の連続だったように思います。
「あくがれ」の語意については、歌人・伊藤一彦氏が著書のなかで丁寧に述べておられます。それを引用させていただきます。
「あくがれ」の語源は「在所(あく)」を「離る(かる)」、つまり魂が今あるところを何かに誘われ離れ去っていくという意味であり、そこから思いこがれるといった現在の意味が生じただが、牧水は言葉本来の意味の「あくがれ」を持ち続けた人だった。
伊藤一彦著『あくがれゆく牧水』鉱脈社より
牧水の歌集はもちろん紀行文にも随筆にも膨大な量の書簡にも「あくがれ」の気持ちがあふれています。それらを少しづつ紹介していこうと思います。
じゃあ、おまえ……、とぼくは自分に問うてみる。
おまえの撮る映画に「あくがれ」はあるか?
いえいえ、問われるべきは、ぼく自身があくがれて行く生き方をしているか否か、であります。
牧水と、ぼくの映画と脚本と、寄せ鍋みたいに語ってしまおうというのは、ちょっと失礼な気もするけれど、ボチボチやってみます。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
『Breath Less ブレス・レス』 | おすすめサイト | お知らせ | つれづれ | 若山牧水
最近のコメント