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2006年11月29日 (水)

山一のしいちゃん

 このブログに時折コメントをいただいているなななかばさんは、ぼくにとっては先輩映画監督である。もう10年を越すお付き合いをさせていただいている。
 まだe-mailがない時代、パソコン通信で将棋を指したりした。一手ずつメールで送るのだ。勝負がつくのに3ヶ月ほど要した。いまでは隔世の感がある。
 作品の批評をめぐって口角泡を飛ばすことも度々だ。殊に脚本の作り方についてはかなり考え方が違うように思う。そのくせ新しい脚本を脱稿すると、ぼくは誰よりも先になななかばさんの意見を求めるのを常としている。

 なななかばさんの母上がお亡くなりになって一周忌がやってきた。
 それを機に、なななかばさんは母上の詠まれた短歌を一冊の本にまとめた。私家版である。
 表題に『命いとしみ』とある。扉を開くと、巻頭に一首ある。

  8キロもやつれて退院せし此の身命いとしみ口紅をさす

 87歳の御作である。
「口紅をさす」がいい。女性はいいなあ。男のぼくは、87歳の時、命いとしみ何をするのだろう。
 そのページをめくると一葉の写真が出てきた。傷ついたセピアの画面の中で若い女性がじっとこちらを見つめている。断髪、傾けてかぶった帽子に洋装、軽くとじた唇にきりりと紅が引かれている。なななかばさんの母上はモガ(モダンガール)だったのだ。しかも美しい。並みの美しさではない。こんな美しい女性からなななかばさんが生まれるのかと目を疑わずにはいられない。ほんと。

「私はお転婆できかん気だったから、男の子にも負けなかった」
 と、聞き書きの冒頭に記されている。
 これは、なななかばさんの奥様が母上(義母)から思い出を聞いてメモされていたのもだ。
「すぐ上の文子姉さんが泣かされて帰ってくると、私が出て行って男の子をひっぱたいて仕返ししてやったわよ。『山一のしいちゃん』といえば知らない人はいなかったわね」
 大正3年生まれのお転婆娘・山一のしいちゃんは、松竹蒲田撮影所から女優にならないかと誘われたことが自慢で、モガとなり、東大生じゃないと結婚しないと宣言し、反対を押し切って東大生と結婚し、鉱山技師の夫と各地を転々とし、満州鉱山の支社(現在の北朝鮮)に着任中生まれたのがなななかばさんなのだ。
 やがてなななかばさんも東大を卒業し、松竹大船撮影所の助監督となる。
 面白いのは、同じ年、母上が8ミリカメラを買い、旅の記録などの撮影を始められていることだ。息子とともに映画を学ぶようなおつもりだったのかもしれない。

 母上は40半ばより、時折短歌を詠まれるようになったそうだが、好奇心は加齢とともにいや増していったように思える。もちろん病は避けられない。心筋梗塞、口腔癌で入退院を繰り返しながら、しかし、まるで病と追いかけっこをするように、未知のものを吸収されていった。
 64歳で浅紅会に入会。同時に通信教育で書道を学び、展覧会にも出品。
 74歳、大正琴を習いはじめる。
 83歳、NHK学園の岡井隆短歌教室に入学。新宿の教室に通う。「万葉集を読む会」にも入会。お茶の水へ通う。全国短歌大会にしばしば入賞する。

  我が命未だしとばかり朝顔の白菊にからみ紫に咲く

  癌を病む母を見舞はむと子をひきて出てゆく嫁の肩のあはれさ

  片手あげて角を曲がりし息(こ)のバイク音消ゆるまで門に佇む

 そうだ、なななかばさんはかつてハーレー・ダヴィッドソンを駆っていた。

  死ぬるまでこれだけの本は読みたしと書棚の前に佇ちし夫想う

  いつの間に生をうけしや金魚の子絹糸のごと藻の間に浮ぶ

 いかん。読み進めるうちに涙がにじんだ。知らぬ間にぼくの母をダブらせてしまっていた。ぼくの母は文学とは無縁の人で、商売一筋、好奇の眼をほかに移すことはなく、花登筐のテレビドラマを観るのが唯一の楽しみだった。すこぶる美声の持ち主で、女学校で全校生徒の前でしばしば独唱させられたというのが自慢だった。彼女はなななかばさんの母上よりも7年遅く生まれ、2年早く逝った。

  病室のまどは額縁日々変る浮雲の絵ぼたん雪の絵

  いくたびの病てふ敵とたたかいつ新春(はる)を迎えし命いとしき

 聞き書きに、長女(なななかばさんの姉)が生まれたときのことが語られている。
「一四年の四月だったけど、北海道はまだ雪の中だった。
 産気づいたので産婆さんを呼ばなければならないのに、仙太郎(夫)はスキーも出来ずオロオロするばかりでね。
 鉱山事務所の小使いさんがスキーで呼びに行ってくれた。
 産婆さんもスキーでかけつけてくれたけど、二時間以上も待たされてね。
 長かったわよ」

 たったこれだけの言葉に中に、人間の豊かなドラマが溢れている。生きた人の言葉のすごさだ。
 ぼくは、私家版が大好きである。市販本のような装丁が望めないのはもちろんだが、袋とじのページの折り目にも、筆者や編者の思いが閉じ込められているように感じる。
 人が生まれ、生き、死ぬ。市井の人の生涯こそが至上の芸術なのだと改めて思った。
 歌集の最後のページで、なななかばさんの母上は詠む──

  カーテンを明ければ朝日輝きてここより私の今日がはじまる

 ご冥福をお祈り申しあげます。
 なななかばさん、すばらしい本を頂戴しました。ありがとう。

     分室「立ち話屋Breathless」では、映画『Breath Less』について
     感想、意見などを立ち話しています。質問もどうぞ。
     『Breath Less』迷言集はじめました。→クリック!

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2006年11月24日 (金)

大阪上映、終わりました。

 いま20時50分をすぎました。
 大阪上映、終了です。
 早かったねえ、1週間。あっという間でした。
 ご覧いただいたすべての方にお礼が言いたいです。
 ありがとうございました!

 つぎの上映地は、いまのところ未定です。
 決定次第、ご報告します。
 つぎの作品も、早く撮りたいです。
 決定次第、ご報告します。

  わが行くは山の窪なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路  牧水

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2006年11月20日 (月)

大阪上映中であります!

 18日と19日、大阪へ行ってきました。
 初めての街なのに、なんだか懐かしい気がしました。
 それは、『Breath Less』を応援してくださる方々にたくさんお会いできたからに違いありません。
 以前このブログで紹介した、第七藝術劇場に『Breath Less』を上映するようリクエストしてくださったH.K.さんはご夫婦でいらしていただきました。
 エンタゲットで脚本を落札してくださったsoramame*さんは京都からお友だち連れでいらしてくださいました。
 わざわざ東京へ観に来てくださったshironさんもいらしてくださいました。もう5回観たとのことでした。
 やっちゃんさんには昼間、門真市で『わらびのこう』をご覧いただき、その後移動して『Breath Less』を観ていただきました。
 ほかにも、まだ言葉は交わしていないけれど、このブログを見ていただいている方々がきっと大勢いらしてくださっていると思います。
 みなさまに心より御礼申しあげます!

 ぼくは昨夜帰京しましたが、伊藤プロデューサーは今日まで大阪に残っていて、さっきの電話によると、今夜はまたお客さんが増えているそうです。
 しかも今夜は、8割強が男性とのこと。うっれしいなあ。
 いえいえ、女性に観て欲しくないということではありませんよ。

 映画を観ることは、ひとつの体験でもあります。
 いま、日々、『Breath Less』を体験してくださった方が増えている。
 そう思うと、ワクワクします。

◎チラシ情報です。
 観る前にチラシを手にしたいと思われる方がいらっしゃると思います。
 ぼくもそうです。
 京都にお住まいの方、六曜社珈琲店(河原町三条)にチラシが置いてあります。
 これ、soramame*さんが配ってくださったものです。
 勿論、このブログの左サイトをクリックしてもご覧いただけます。

 みなさま、ぜひぜひ十三へ、第七藝術劇場へ、足をお運びください!

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2006年11月18日 (土)

いざ大阪

 とうとう、ついに11月18日がやってきました。
 大阪・第七藝術劇場 の上映開始です。
 上映時間は、毎夜18時50分~20時50分です。
 1日1回のみの上映ですので、どうかお間違えなきようお願いします。

 これから荷物をまとめて、といっても1泊だからたいしたことないけど、一眠りして、お昼近くの新幹線に乗ります。
 いざ、大阪! であります。
 ムム、興奮して眠れそうにないぞ。
 寝坊して新幹線に遅れたらどうしよう。
 心配して、さらに眠れなくなったりして……。

 アランは言っている。
「眠れないことを心配する人は、眠るに適した状態にはないし、胃の心配をする人は、消化に適した状態にはない。したがって、病気のまねをするよりは、健康のまねをすべきであろう」
 もうひとつ──。
「最大の不幸とは、物事を悪く考えることではないかと思った。(中略)人が想像する不幸はいつも実際よりも誇張されているものだ」
 以上、アラン著『幸福論』(白井健三郎訳)よりでありました。

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2006年11月15日 (水)

そわそわ

 落ち着かない。そわそわしている。
 理由は分かっている。頭の中で牧水さんが騒いでいる。

 大正7年11月12日~26日(29日の説もある)、牧水は群馬県を旅した。その旅を5本の紀行文にしている。
「利根の奥へ」
「みなかみへ」
「利根より吾妻へ」
「吾妻川」
「吾妻の渓より六里が原へ」
 がそれだ。
 牧水の紀行文はどれを読んでも面白い。そのなかでもこの5本は、ぼくにとっては珠玉だ。この旅を自分の足でなぞってみたい。脚絆を巻いて草鞋を履いて、牧水と同じように徒歩で。
 しかしいまは乗合馬車がない。タクシーで代用するのはつまらないから自転車にしようかなどと考えている。

 今日(14日)、牧水はどこにいただろう──
 毎日紀行文のなかのその日を読み返している。
 併せて書簡集からその日の手紙を探す。

 前日、沼田駅から乗合馬車で小日向へ行き、徒歩で湯原に到着。藤屋という旅館に泊まった。
 14日は雨だ。牧水は湯原に留まり、ゆっくりと湯につかって休むことにした。
 朝7時半、妻の喜志子宛に「これから原稿用紙を取り出そうといふ処だ」と葉書を書いている。
 旅中の牧水は日に2通も3通も妻に手紙を書いている。まるで携帯メールみたいな頻度だ。

 午後、雨の湯原を歩く。
 料理屋の軒燈や腰障子がいくつも目につく。昼間だというのにどの店も酔った男達でにぎわっている。たいていは草鞋履きのまま踏み込む大囲炉裏のある座敷で、自在鉤に吊されているのは豚鍋らしい。囲炉裏を囲んだ大男たちの間に、銀杏返しに結った女たちが挟まっている。
 ここで牧水は書いている。
「私も元来斯ういふ場所は好きである。が、流石に一人では入っていく勇気がない」
 牧水のこういうところが、こう書けるところが、ぼくは好きなのだろう。

 夕方、風呂で材木商の男から山の話を聞く。
「山の売買、木材の容積の量りかた、それからの喧嘩、1日七八両も取ってゐて年中前借から前借せねば暮して行けぬ山師共の生活、さうした珍しい話に心を惹かれ夕食をばこの人と一緒にする事にしたが、二三本飲んでゐるうちに彼は早やその前借連中に呼び出されて他へ出かけて行った。私も誘はれたが、矢張り勇気が無かった」

 深夜に目を覚ますと、恐ろしい風が吹いている。
 しかしこれで明日は晴れるだろう、と牧水は思うのだった。

 ところが、牧水の予想はよく外れる。
 次の日は雪混じりの雨だった。風に乗って頻りに木の葉が飛んでくる。
 牧水はもう1日湯原で休むことにした。
 朝7時、喜志子宛に葉書を書く。
「原稿、昨日、丁度十七枚書いてやめておいた、あと十八枚を今日これから書くのだ、歌がしきりに出かけて来るが、原稿の出来てしまはないうちは困るから一生懸命それを押さえているところだ」

 実はこの旅の旅費を、牧水は出版社からの前借りで賄っていたのでした。

 のちに、このときの材木商のお孫さんが嫁いで猿ヶ京ホテルの女将となり、ホテルの苑内に文学館(三国路与謝野晶子紀行文学館)を建てることになります。
 牧水の生原稿を蒐集されているそうです。
 幼いころ祖父の膝の上で牧水の話をよく聞かれたそうだと、牧水の弟子で研究者の大悟法利雄氏が書かれています。

 この旅での歌ではないけれど──

  旅ゆけば瞳痩するかゆきずりの女みながら美からぬはなし  牧水


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2006年11月13日 (月)

ありがとう!

 昭和女子大学・秋桜祭の上映会、無事に終了しました。
 ご覧くださった方々、ありがとうございました。
 主催のとびをさん、ありがとう!
 お手伝いくださった方々、ありがとう!

 意見交換会もすごく楽しかったです。
 皆様のご意見、ご感想が心に沁みました。
 50分間があっという間にすぎてしまいました。

 もっと話したくて、三軒茶屋の居酒屋へ移動しました。
 お開きにして店を出たときは9時になろうとしていました。実に4時間以上、語り合っていたのでした。

 みんなみんな楽しかった。
 みんなみんなありがとう!

 さあ今度は、大阪・第七藝術劇場だ。

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2006年11月11日 (土)

昭和女子大学・秋桜祭(其の参)

 今日は昭和女子大学へ行って、プロジェクターのセッティングと打ち合わせをやった。
 会場(80年館6階オーロラホール)は客席が階段状になっていて、清潔で、とてもいい。若干音の響きすぎるのが気になるといえば気になるが、まあ、映画館じゃないんだから、許容範囲内だろう。
 とにかく楽しい上映会にしたい。
 上映のあとに、観客の方々と意見を交換できる時間が、50分間、設けられている。
 やらせのタウンミーティングとは違って、思うがままに語り合いたい。楽しみだ。
 映画は、観た人はどんな感想を持ってもいいのだ。スクリーンに映っているのは一瞬の幻みたいな光の連なり。肝腎なものは観た人一人ひとりの心の中で生きているのだから。
 だから、こんな意見を言ったらまずいんじゃないかとか余計な気は遣わずに、大いに語り合いましょう!

  我等は、
   君、
  決して無意義には生きて居ない。
     ──若山牧水『死か芸術か』より

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2006年11月 2日 (木)

昭和女子大学・秋桜祭(其の弐)

 ハガキで応募くださったみなさま、ありがとうございました。
 とびをさんからいただいたコメントによると、どなたもご希望どおりの回をご覧いただけるそうです。よかった。
 しかし、まだ空席があるそうです。
 当日券(\1,000)を発売します。
 ぜひぜひお越しください。
 そして上映後の意見交換会も覗いてみてください。
 分室・立ち話屋Breathlessで持ち上がった論点のいくつかについても、時間が許せば、お話ししたいと考えています。
 お会いできるのを楽しみにしています。

11月12日 日曜日 昭和女子大学・秋桜祭
              (東急田園都市線三軒茶屋駅下車)
・上映会場
  80年館 6階 オーロラホール

・上映スケジュール
  10:00 受付開始
  10:30 1回目 上映
  12:30 上映終了(入れ替え)/受付開始
  13:00 2回目 上映
  15:00 上映終了(入れ替え)
  15:10 意見交換会
  16:00 終了

・チケット料金
  当日券 \1,000.(パンフレットは付いていません)
  前売り(ハガキ応募)は終了しました。

 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である。
 又
 人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。
                         ──芥川龍之介『侏儒の言葉』

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