本田博太郎さんのこと
自宅で仕事をしながら、今夜は本田博太郎さんのことを書こう、ヘッダーの画像もそれにあったものに交換しようと考えていたら、20時40分、本田さんから電話があった。作品が公開されることをたいへん喜んでおられた。
で、仕事は後回しにして、これをアップすることにした。
ロック・ミュージシャンのYさんと酒を飲んでいたら、突然Yさんがこんな話をした。
「渡辺さんね、ぼくは田舎から出てきたころ、レコードデビューすることがとてつもなく困難で、ものすごく高い障壁に見えた。デビューできさえすれば楽になれるんだけどなあと思った。ところが実際デビューすると、もう次のレコードを作らなきゃならない。こっちのほうがずっとずっとたいへんなのだということにデビューして分かった」
ぼくは大いに同感した。作りつづけることのたいへんさを身をもって感じていたからだ。
ぼくが若山牧水を尊敬し読みつづけているのは、彼が生涯、「感じたままを詠む」ことに徹した人だからだ。容易くできることではない。
本田博太郎さんと初めて会ったのはもう18年ほど前のことだ。
当時、ぼくは監督2作目が流れた直後だった。半年かけて脚本を書き、キャスティングもほぼ決まり、メインスタッフが集まってロケハンに取りかかろうとした矢先の製作中止だった。これから監督としてやっていけるのか、いやそのまえにどうやって生活していこうか、痛いほど不安だった。
そして本田さんも、当時、たぶん仕事が少なかった(推測です)。
渋谷のバーでジャズを聴きながら、ふたり黙ってビールを飲んだ。
「いつか、いっしょに仕事しましょうね」
別れ際にぼくは言った。
本田さんは控えめに微笑んだ。
もっと気の利いたセリフが吐けないものかと、すぐにぼくは後悔した。
以後、映画やテレビで本田さんを観るたびに、渋谷の夜の街で吐いてしまった気の利かないセリフが脳裏をよぎった。
しかし、気の利かないセリフでも、言っておいてよかったと思う。実現したのだから。
本田さんとは衣裳合わせの場で再会した。いい年の取り方をしている男の顔は美しい。ぼくは確信を持ってそう断言する。安穏なだけの人生では味わえないものがある。人の味わっていないものを味わってきた強さと深く静かな熱情が男の顔を作る──とぼくは信じる。
本田さんには筒井くんの父親をやっていただいた。独り暮らしの売れない児童文学者だ。撮影の当日、本田さんは自前の衣裳をたくさん持って現れた。ぼくは行きつけのバー(大森のいっこう)から陶器の皿と器を借りてきた。本田さんが劇中で使うものだ。
「これを、(キャメラから)見えなくてもいいから壁のどこかに貼ってくれませんか」
本田さんが取り出したのは一枚の書だった。
「大馬鹿者」と大書されていた。
それは源四郎(本田さんの役名)にも、ぼくにも、そして本田さんにもふさわしいとぼくは思った。そうだ、大馬鹿者だ!
源四郎「今日はなんだ」
徹 「たまには小遣いでもやろうと思ってさ」
源四郎「くれ」
徹 「ジョーダン」
源四郎「くだらねえ冗談が受けると思っているうちはまだガキだな」
徹 「帰るよ」
源四郎「さよなら」
徹 「そりゃあないだろ、ひとりで寂しいだろうと思って来てやったのに」
源四郎「なにか盗まれちゃたいへんだからな」
徹 「これでも法の番人だぜ」
源四郎「余計質が悪い」
ところで本田さんの書「大馬鹿者」は、いま我が家の家宝となっています。
それともうひとつ、流れた監督2作目というのが、じつはこの『Breath Less』だったのです。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
“本田博太郎さん観賞ノート”やってるrokuyaです。
先日は、コメントをありがとうございました。
そのとき書いていただいたセリフや
このセリフのやりとりに、イタク見たい心を刺激されます。
どうぞかして東京に出かける算段をするか、近くの映画館が公開してくれるのを朝晩祈るか・・・
本田博太郎さんは、自前の衣装を使われることがよくおありなのでしょうか。ファンの間で、あれとこれのカーディガンが同じでは?とか、あのときのマフラーの使い回しでは?などと、時々話題になります。
投稿: rokuya | 2006年3月13日 (月) 00時18分
rokuyaさん、どうも。
コメントありがとうございます。
本文に書きましたように、本田さんとは古い知り合いなのですが仕事をするのは初めてだったので、よく自前の衣裳を使われるのかどうか、分かりません。
事前打ち合わせでお会いしたとき、すでに本田さんは脚本をしっかり読み込まれていて、自然と衣裳は自前でということになり、こんな器を小道具で使おうという脚本に書かれていないところまで話がおよびました。作りこむ方向をお互いに確認できるとても楽しい打ち合わせでした。
筒井くんも本田さんもしっかりした芝居をする役者なので、細かくカットを割らずに長回しのワンカットで撮りました。クスクスと笑って、あとでジーンと胸が熱くなるいいシーンになったと自負しています。
いくつかのブログでもコメントしましたが、できるだけ多くの都市で上映できることを、ぼく自身、強く願っています。いまここでその発表ができるといいのにと心が痛みます。諦めずに可能性を探るつもりです。この思いは配給のアルゴ・ピクチャーズも同じです。そういう情報も逐一書き込むようにしていきますね。
投稿: 渡辺寿 | 2006年3月13日 (月) 02時06分