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2006年3月 8日 (水)

命の砕片

  海山のよこたはるごとくおごそかにわが生くとふを信ぜしめたまへ  牧水

 苦境の真っ直中で出した第二歌集『独り歌へる』(明治43年1月1日発行)の一首です。
 明治41年、牧水の苦境は始まりました。早稲田大学を卒業。ほぼ時を同じくして処女歌集『海の声』を出版。しかしそれは出版社の都合で印刷の途中から自費出版となってしまい、牧水は経済的苦境に立たされます。年末には一軒家を借りてばあやを雇い、小枝子を迎え入れようとしますが、彼女はなかなか来てくれない。実は彼女はすでに結婚しており、二児の母でもあったのです。姦通罪があった時代ですから、彼女にすればおいそれと牧水の希望に添うわけにはいかなかったのでしょう。重ねて牧水にとって不幸だったのは、彼女がその事情を牧水に打ち明けられなかったことでした。牧水20代後半の懊悩はこうして始まりました。

  逃れゆく女を追へる大たわけわれとぞ知りて眼眩むごとし

 同じく『独り歌へる』のなかの一首です。
 初め牧水は、歌集名を『みづからを弔ふ歌』と考えていたようです。
 この歌集の「自序」に、牧水はこう記しています。

「私は常に思って居る。人生は旅である。我等は忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくへ往ってしまふ。その間の一歩一歩の歩みは実にその時のみの一歩一歩で、一度往いては再びかへらない。私は私の歌を以って私の旅のその一歩一歩のひびきである思ひなして居る。言い換へれば私の歌はその時々の私の命の砕片である」

「私の歌はその時々の私の命の砕片である」──この言葉はすごいなあ。
 牧水は生涯、そう思いつづけて生き、旅をし、歌を詠んだのだろうとぼくは思っています。それは、歌集はもちろん随筆、紀行文、書簡などを読んでいくと容易に推測できることです。
 しかしこの歌集の発行部数はわずか200部(150部との説も)。牧水の歌が全国の若者に愛唱されるようになるにはいましばらく月日が必要でした。
 唐突だけど大好きな一首を──。

  納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝が意志をまぐるなといふが如くに

 このメチャクチャ破調の歌については、またいつかお話ししたいと思っています。

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