読書会とは、ひとつの作品をみんなで読みあい、感想を述べあう会です。
人の感想や意見を聞くことによって、よりいっそう理解を深めることができます。また、これまで読むのを躊躇っていた作家や作品に触れるチャンスでもあります。
殊に古典や近代文学には、慣れない言いまわしや読めない漢字が使われていて、読むだけでも一苦労、つい途中で投げ出してしまったりしがちです。
でも、読めない漢字や慣れない言いまわしに困るのは恥ずかしいことではありません。投げ出さないで、根気強く触れていくことで、それらは意外と容易に克服できます。辞書を引くのも楽しいものです。
ぼくは5年ほど前に若山牧水と出会い、いっぺんに虜になってしまいました。
しかし現実に、いまここに牧水がいたとするなら、はたして親しい友人になれたかどうか、はなはだ怪しいです。なぜなら性格的に、ぼくは彼と合わないだろうと思うところが多々あるからです。文芸作品だからこそ、性格的な違いがかえって魅力となるのかもしれません。
牧水は、面白いです。もっと多くの人に彼の作品に触れていただきたいと願ってやみません。
そこで「若山牧水を読む」という読書会をやろうと思いつきました。
牧水の母校、宮崎県の東郷小学校では、毎朝登校してきた子供たちが牧水の歌を読誦(とくしょう)していると聞いて、キャメラを持って見に行ったことがあります。
光無きいのちの在りてあめつちに生くとふことのいかに寂しき
全校生徒、わずか20名あまりでしたが、子供たちが一斉に声を張り上げて歌い出したとき、ぼくは身震いするほど感動しました。
また吾妻渓谷では彼が渡ったという吊り橋を探しましたが、吊り橋の時代はとうに終わっていて見つけられませんでした。大正7年11月20日、その吊り橋に胡座をかいて、渓流を見下ろしながら、彼は酒を飲んだのです。そこへ若者が通りかかると、牧水は「いっしょにやりませんか」と親しく声をかけ、2人で酒を酌み交わしました。
おのが身のさびしきことの思はれて瀧あふぎつつ去りがたきかも
この読書会では、牧水の紀行文を中心に読みたいと考えています。
紀行文の中に、彼の人柄がよく顕れているからです。彼の人となりを知ることで、彼の詠んだ歌をいっそう深く味わうことができます。
「今日」が「けふ」だったり「蝶々」が「てふてふ」だったり、初めはなかなか厄介ですが、すぐに慣れて、笑ったり、切なくなったり、感動したりできるようになります。それだけの魅力に溢れた牧水です。
詳しくは、チラシ(↓)をご覧ください。
これを機に、若山牧水に出会っていただきたいと願います。
分からないこと、不安に思うことがありましたら、いつでもメールをください。この記事にコメントとして書き込んでいただいてもけっこうです。

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